活字で笑うのが好きになったのは、中島らもの明るい悩み相談室からで、10代のうちにそれまでに出ていたエッセイや小説は全て読んでしまった。いま、中島らも、というのはヒップじゃないのかもしれないけど、関西のアンダーグラウンドシーンのことや町田康やいしいしんじなど書籍を通して知ったことも数多くあり、影響を受けました。
その次がリリー・フランキーとナンシー関。リリー・フランキーはロック雑誌のクロスビートのコラム連載で知った。どぎつい下ネタばかりなのに、どこか上品な感じで大好きになった。いまでは名俳優として大活躍していますが、大ヒットした「東京タワー」(僕は未読ですが)以降はコラムはほぼ書いていないようで残念です。
ナンシー関はホットドッグプレスやチェックメイトなどのファッション誌で知って、まわりの友達とも「今月号読んだ?」といつも話題になっていました。ご存知のように39歳という若さで亡くなってしまいましが、キレまくったテレビ批評まだまだ読みたかったです。以前ツイッターで、「今ならナンシー関は松本信者乙で終わってた」、というつぶやきを見て、それは乱暴すぎるとは思ったけれど、若かりしスチャダラパーが景山民夫にラップしたように松本人志に対して「あんた誰?」と言えたかどうかは見てみたかったです。
松尾スズキはロッキングオン社の音楽雑誌BUZZの連載「同姓同名小説」で知りました。いまでも疎いが97年当時は演劇のことなど全く知らず、こんなに面白いコラムがあるのかと衝撃を受けました。そのあとしばらくしてからTV BROSでの連載もはじまり、かれこれ20数年の付き合いになりました。コラムや小説もたくさん読んだし、松尾スズキに限らず大人計画の役者を映画やテレビで見かけると、何故か安心します。
今月号のTV BROSで松尾スズキ+大人計画30周年特集が組まれていて、その記事と、同誌で紹介されていた『「大人計画」ができるまで』を読みました。宮藤官九郎や阿部サダオをはじめとしたスター集団がいかにして集まっていったかが語られていて、大河ドラマの「いだてん」も全くの部外者ながら感慨深い気持ちで見るようになりました。これだけの密度と詳細さなのでしょうがないとは思いますが、ビートたけしの「たけしくん、ハイ!」や「コマネチ」と同じ聞き書きだったので、松尾スズキ本人の文章で読めなかったのはちょっと残念でした。
地方にいるとなかなか舞台を見る機会はなく、唯一見れたのは12年の一人舞台「生きちゃってどうすんだ」の福岡公演だけです。実はこの1週間前に親父が亡くなったばかりで、人はどんなに悲しくて打ちひしがれている状態でも笑うことができることを知り、救われました。その時のことも思い出し、「笑いが好きなんだよね。人が笑ってるときというか、笑わせてるときって、少なくとも、そのときだけは、しらふでなく、いられるから。」という言葉が一番グっときました。
3月に30祭凱旋 大人計画大博覧会in福岡があり、その一環として松尾スズキのトーク「なんとかここまで起訴されず」が開催されます。すでにチケットは完売。かなり後ろの席ではありますが、なんとか押さえることができました。星野源ヤフオクドームのリベンジができ嬉しく思っています。
また最後に余談ですが、この本を読んで大人計画とスチャダラパーのLITTLE BIRD NATIONの共通点を多く見つけました。スチャダラパーはCDデビューの90年をSINCEにしていますが、結成88年なのでほぼ同期であること。大人計画、LITTLE BIRDとも天才集団で所属しているみんなは多方面で大活躍していること。でも集まると昔と同じ距離感で活動ができること。そしてどちらも宮沢章夫から多大な影響を受けていることなどなど。松尾スズキが大人計画を立ち上げた時は25歳でそれでも十分早いのですが、LITTLE BIRD NATIONを立ち上げた時にSHINCOはわずか20歳。本当に早熟の天才だな、と改めて。
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